ハワイの歴史が残るLāhaināをお伝えします

さきほどアップしました山火事で被災したマウイ西部の町、ラハイナの歴史などをアップします。

古き良きハワイの雰囲気が残るラハイナは、人もゆったりして、のどかな時間が流れています。

すぐ近くに幸せを呼ぶと言われる「HauolaStone」があって、上の写真は、そこから見たラハイナの景色デス。

ラハイナは、捕鯨でハワイ経済の主軸となって栄えた時期がありました。

1802年には、カメハメハ大王も、ハワイ島から一時移り住みました。

1830年からカメハメハ3世がオアフ島に首都を移す1845年までの15年、ハワイの中心でした。捕鯨漁とともに、カメハメハ王家の歴史が残る場所なのです。

この時代にレンガが持ち込まれ、ラハイナのカメハメハ大王の家もレンガでできていたそう。一部しか残っていませんでした…。

ハワイ主食はタロイモでした。王のタロイモ畑があった跡地。(↓の写真)

↑の写真は、捕鯨を監視するための監視台兼灯台。↓はその前にある「OldLāhaināCourtHouse」旧ラハイナ裁判所。

捕鯨漁で、もめごと、事件も絶えなかったようです…。

2階は裁判所でしたが、1階にはカメハメハ3世の執務室、保安官待機場所、税務署、郵便局がありました。

王族関係の人がここにいらした時は、広場で音楽が演奏され、食事会が催されていたそう。

ハワイの中心がここにあったのだなあ〜と、史跡やいただいた資料、ガイドの方のお話から伺えました。

写真okでしたので色々撮影しました。

捕鯨で使われた用具や掲げていたハワイの国旗など当時の貴重なものが、綺麗に展示されていました〜。


近くには、宣教師の家も残されていました。

ラハイナのシンボルで地元の人に愛されていたバニアンツリー。

ハワイのバニアンの中で一番大きいこの木にも1800年代の歴史があります。

1873年に、この地にキリスト教団が設立され50周年迎えて、植えられた記念の木です。

カメハメハ大王の神聖な妻ケオプオラニは、大王が亡くなった後、キリスト教に入信し、50年の記念樹として沢山のバニアンを、保安官ウィリアム・スミス氏に要請して植えさせたのだそう。

歩いてみると、木と木がつながってできた巨大な木陰の空間でした。暑いラハイナで地元の人にとっても憩いの場になっていました。

マウイ島に残る誇り高い宝物。

ハワイにとっても貴重な宝物。

すべて焼けてしまった…本当に悲しい出来事。

訪れた時の資料や記憶を大事に、またいつかラハイナを訪れる日が来るのを願い祈りたいと思います。

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